みなさん、こんばんは!
トルコ・ボドルム在住のNaoです。
以前のブログでも書きましたが、
3月中旬、私はボドルムを離れて、フェティエへ行っていました。
nomad-life-in-turkey.hateblo.jp
そして、その際にフェティエにある彼のお兄さん家族のお家に泊めてもらいました。
彼のお兄さんや、お兄さんの奥さんは平日仕事をしているので、
夕食の時間から寝る前の数時間だけ、
一緒に食事をしたり、色んな積もる話をしたりしています。
私は、まだまだトルコ語がわからなくて、
ついていけないトピックばかりなのですが、
彼のお兄さんはなんと、ドイツ語と英語がペラペラ!
なので、彼のお兄さんと話をする時は、英語で話します。
今回は、そんなお兄さんとお話をした中で、
今の日本に対して 鋭すぎる考察をしてもらったので、
そんな話を書いていこうと思います。
激動の時期を生き抜いた先人たちの恩恵
ちなみに、私の彼のお兄さんは、私の親のような年代で、50代半ばです。
私の彼が年上なので、必然的にそうなりますよね。笑
そんな私の親と年が同じくらいのお兄さんなので、
もちろん人生経験も豊富だし、トルコを出てドイツに留学した経験や、
トルコで兵役した経験もあります。
そして厳格なムスリム教徒で、1日5回のお祈りは欠かしません。
そんな真面目で、勤勉なお兄さんは、
本を読むのが大好きで、お家にはたくさんの本が置いてあります。
どれも分厚いものばかりで、トルコのことだけではなく、
世界の文化や歴史が好きみたいで、そのような関連の本もたくさん。
たくさんの本を読みながら、
日本を含む東アジアの文化や教育、歴史を学んだそうです。
なので、私がお家に行く度に、
たくさん日本について聞いてくれます。
私は分かる範囲で答えていますが、
今回の話はあまりにも図星、、、な感じでした。
お兄さんはこう言いました。
「今のNaoのような世代は、
戦後を生き抜き、高度経済成長期で一生懸命働いてきた、
今の日本を作り上げてきた先人たちの恩恵を受けて、
それを利用して生きているでしょ。」
という言葉。
お兄さんは、結構物事をはっきりというタイプなので、
ネガティブな意味でとらえて欲しくないのですが、
結構その言葉通り、納得してしまいました。
もちろん、この時代に生まれ落ちた私たちは、
それを望もうが、望むまいが、その恩恵は受け取ることになります。
そして、その恩恵を受け取り、どう生きるかは私たち次第です。
今の日本にあるもの、ないもの
皆さんは、今の日本に対してどうお考えですか?
私は18歳の時、初めてフィリピン・マニラへ行き、
とてつもなく、大きな衝撃を受けました。
初めて自分の五感を全て使い、
全力でその瞬間を生きるという感覚を覚えたんです。
衝撃を受けた理由は、その街のエネルギーです。
そして、五感を使わないと生き抜いていけないような社会だったと思います。
マニラの都会の喧騒、鳴り止まぬクラクション、渋滞、
車が止まればやってくる物乞いの子供や女性たち。
水やお菓子を売る物売りの人たち。
スラム街には、トタン屋根で出来た小さな家が建ち並び、
ゴミを拾って生計を立てる人たちの姿。
そして、スラム街へ行くときは、
現地の警備員をつけて、銃を所持しながら回る。
そんな危険な状況ではありましたが、
現地で暮らす人たちと交流する機会もありました。
時には、貧しさゆえに、生活の苦しさゆえに、
とても鋭い目をした人たちと目が合うことも。
でも、ほとんどの子供達は、
目がキラキラ輝いていて、貧しい現実を受け入れて、
将来家族の為に、こんな夢を実現させたいんだ!というのを教えてくれて、
その瞬間を自由に生きていたように思います。
私は、日本の戦後を知りませんが、
なんだか、一昔前の日本に戻ったような感じがしたんです。
ジープニー(乗合バス)に乗ると、手渡しで隣の人へお金を渡しながら、
運転手の元へ運賃を届けます。
降りる時は、大きな声で「パラ ポ!(降ります)」と伝えると、
自分の降りたい場所に止めてくれます。
日本では、テクノロジーの発達のおかげで、
自分の声をあげて意思表示をすることって、あんまりないのではないでしょうか。
だから、フィリピンは発展途上国としてどんどん開発が進んでいく反面、
日本ではもう体験できないような、感覚を覚えました。
もちろん、光と闇が見え隠れするフィリピン。
貧困問題、貧富の格差、児童労働・・・など、知れば知るほど
どうすればいいのか分からないこともありました。
でも、そんな社会だからこそ味わえる感覚や感情は
日本にはもうないような気がしてしまったのを今でも覚えています。
集団性や規律を学んできた日本人
日本では、暮らしに必要なものを簡単に手に入れることができて、
本当に便利で、快適で、清潔な環境がすでにあると思います。
そして自分の人生を切り開いていくための教育やお金を稼ぐこともできる。
道徳心や社会のルールも子供の頃から教わるので、
私自身、とても規律ある社会の中で、平和に暮らせたと思っています。
彼のお兄さんは日本へ来たことはありませんが、
日本の社会について話をするときに、
よく「Disciplined / Organized」という言葉を使います。
規律ある / 組織化されて、整っているという感じでしょうか。
日本人の几帳面で、将来に備えて用意周到なところも表しているようです。
私は、その言葉はとてもぴったりだなあと思いました。
そしてお兄さんは、
そんなルールがたくさんあり、
個性を尊重するよりも、集団性や規律に重きを置き学んできた日本人に対して
「ほとんどの日本人が、
すでに当たり前にある便利な環境や暮らしを享受しているけど、
今度はそれを維持していくための労働を必然的に強いられ、
毎日ルーティンのように会社と家を行き来しているんじゃない?」
「それが当たり前の社会だからこそ、その生活に魅力を感じず、
みんなが同じようなライフスタイルを送ることに疑問を抱いていたからこそ、
海外に出たんでしょ?」
と言われました。
鋭い考察・・・。
もちろん、日本にも様々なライフスタイルを実践されている方がいるし、
私が以前日本の会社で働いていた時は、
同じような生活環境・仕事をしているのに、すごく幸せそうな方も見てきました。
でも反対に、精神的に耐えられなくなり、うつ病になった方や、
夜逃げのように音沙汰なくどこかへ去ってしまった同期もいました。
だからいくら日本でも、みんなが全く同じ道を進んでいるというわけではなく、
本当に人それぞれ、幸せの価値観も、目指すライフスタイルも違うと思います。
でも、日本の社会を客観的に見てみると、
やっぱり、学校で勉強して、社会に出たら安定的な収入を得るために働く。
有給や休暇は取りづらいし、残業をしてでも一生懸命働くのが当たり前。
真面目な人も多いからこそ、頑張りすぎてしまうし、
息抜きしづらい社会だなあと感じている人も多いのかなあ〜と思ったりします。
私は新卒で2年間日本の会社に属しましたが、
正直働く時間が多くてすごくしんどかったですし、
その仕事が本当に自分の進みたい道なのかな?
という疑問を持ちながら働いていたのを覚えています。
でもその当時は、
目の前に1本の社会のレールしか見えておらず、
どうすれば、違う働き方・生き方に出会えるのかが分かりませんでした。
そして、日本にいながらその答えを見つけることができないなと感じて、
日本から外に出てみたいなあと思ったんです。
海外に魅力を感じて外に出た私だけど・・・
私がそんなことを考え始めていたからこそ、
日本での生活は20代前半で切り上げて、25歳までに海外へ出たいと考えました。
2年間の会社員生活で得たボーナスは全て貯金に回して、
200万円ほどのお金を残して、住民票を抜き、
フィリピン・マニラへ移住・転職しました。
でも、そんな考えのもとでは、私の海外生活はうまくいきませんでした。
なぜなら、答えがいつも自分の知らないところにあると思っていたからです。
私が環境を変えれば、新しい世界を知ることができる。
もっと、刺激的な環境に行けば、日本にはない価値観を得ることができる。
常に自分の外側で、自分が求める幸せを知ろうとし、得ようとしていました。
だから、外の世界に気をとられるあまり、
自分のことを全然大切にしていなかったし、
セルフケアができていなかったからこそ、不調の連続でした。
そして、自分の内面に意識を向けていないからこそ、
自分の心の声なんて聞こえるわけもなく、
外の世界からエネルギーを奪われ、
何が幸せなのかも、うまく答えを見つけられないまま、
フィリピンでの海外生活はわずか1年足らずで幕を閉じました。
失敗・挫折は自分を変えるための大きなチャンス!
でも、その失敗が今の生活にたどり着く為の大きなチャンスとなりました。
失敗・挫折・不調の連続の中にいた私でしたが、
そんな時に、私の体現したいライフスタイルをすでに実践している彼と再会しました。
その当時は、
彼と一緒にトルコで住む将来は全く見えていませんでしたが、
彼の考え方や生き方を間近で見ているうちに、
私にはせっかくメンターとも思える人とご縁があったのだから、
自分がときめく方向へ進んでみようと思って、
彼の生活に思い切って飛び込んでみたのが、今のトルコ生活の始まりです。
そして、彼のお兄さんは、
「君は本当にラッキーだね。なかなかこんなに優しくて、
経済力もあって、自由な弟みたいな人と出会えないよ。」
と笑って言っていました。
「でも、忘れないでほしい。
僕たち兄弟は、アルコール中毒だった父親の影響で、
子供時代からずっと働いてきたんだ。
今の経済力は、幼い頃から努力をして、
貧困から抜け出す為に必死に生きてきたからこそ、得てきたものなんだよ。」
彼は、確かに昔の子供時代の話をしてくれるとき、
幼いながらに色んな工夫をして、物売りをしたり、
理髪店での仕事をしたりしていたと言っていました。
でもそうやって、幼い頃から知恵を絞って仕事を見つけ、収入を得てきた彼は、
今のセールスマンとしての仕事をよりスマートにこなしていると思います。
色んな人生があって、どんな人も問題を抱えてきたかもしれないし、
他人がその苦しさを知り、全てを理解することはできないかもしれないけど、
それでも、その人の人生から学ぶことはたくさんあるなあと
お兄さんと話していて思いました。
まとめ
私は、20代半ばで日本を離れ、
ここ数年は、フィリピン・トルコで生活をしてきました。
私は、日本の激動期を生き抜いて今の日本の基盤を作られた先人の方、
ご先祖様、両親・親戚に恵まれ、
貧困に苦しむことなく、平和な世界で生まれ育ちました。
でも、そんな幸せで安定的な環境を一度離れてみて、
世界の問題、そして外から見た日本のいい所、悪い所を観察しています。
日本の社会は閉鎖的だと思えて、
それを言い訳に、自分の幸せに気づくことができなかった私は、
フィリピンへ行っても、結局は同じ問題に悩まされましたが、
そこへ飛び込んだ勇気があったおかげで、
憧れの生き方をしている理想の彼と出会うことができました。
彼は過去に離婚を経験していて、一人の息子がいます。
そして、将来について話し合った結果、
私たちは結婚はしないで、
今のパートナーシップを大切にし、楽しみながら人生を共に歩んでいます。
年の差、国際恋愛の壁を感じたこともありますが、
今では、二人が同じ理想に向かって、人生を歩んでいけることに感謝しています。
彼とフィリピンで出会ったタイミング、
そこで失敗だと思っていたことが、全ては大きな変化へと導かれていたこと。
今考えると、絶望・挫折の先には、
必ずチャンスがあるんだなあと思っています。
今の生活も永遠に続くわけではなく、
私たちの考え方や、ビジョンは変わっていくと思いますが、
いつでも、自分のことを大切に信じてあげて、
ワクワクする方へ、幸せな方へと進むことを忘れないようにしたいです。
自分の人生にはどんな課題が与えられて、
私は今世でどんなことができるのか。
まだまだ、その答えにはたどり着いていませんが、
それが一体なんなのか?私の天職とは?
トルコに今私がいる理由は、きっと未来の私がすでに知っていることでしょう。
そんなことを考えながら、
今回のブログは終わりにしたいと思います。
最後に、彼と人生の話をしていた時に響いた言葉をシェアします。
People can’t see, but everyone has an opportunity.
Just how you use it.
If you are creative, you can find a good lifestyle.
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
それでは、また〜(^^)/~~~
Nao
追伸:最近、Youtubeの動画もアップしたので、ぜひご覧ください✨
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