みなさん、こんばんは!
トルコ・ボドルム在住のNaoです。
今回のブログは、
トルコ人の彼と付き合う中で悩んできたこと、乗り越えたことなど、
私が国際恋愛を通して学んだことがテーマです。
私にとって、トルコ人の彼は、
一番安心し、信頼できるメンターのような存在です。
でも、国際恋愛、コロナ禍の生活、トルコで一緒に暮らすということ。
どれも、すんなりと選択できたわけではなく、
時には悩み、不安になることもありました。
今朝、ふと過去の私の日記を読み返しながら、
過去の自分の気持ちを振り返ることができたので、
今回は、そんな私の国際恋愛事情を書いていきたいと思います :)
トルコ人彼との出会い
始まりはフィリピンのボラカイ島
私たちが出会ったのは、今から遡ること4年半前。
私が社会人1年目の冬に、初めて1週間の休暇をもらい、
大好きなフィリピン・ボラカイ島へ旅行していた時です。
彼は、その頃ちょうどトルコからフィリピンの島々を旅していて、
同じタイミングで私たちはボラカイ島に滞在していました。
私は会社の同期の女の子と、3泊4日の二人旅。
彼は自由気ままな、数カ月の長期一人旅。
全然旅のスタイルや休暇の期間、ライフスタイルが違った私たち。
でも、面白いことに
全く同じ船の、ボラカイ島発着のアイランドホッピングツアーに参加し、
小さな船の上で出会うこととなりました。
私の目の前に座っていた彼は、とてもフレンドリーで、
こちらに「Hi~^^ 」と挨拶してくれました。
私もフレンドリーなタイプなので、挨拶をした後、
「どこからきたの?どんな旅をしているの?」
などいろんな質問をし、どんどん会話が弾んでいきました。
話をしているうちに、すぐに仲良くなった私たち。
アイランドホッピングのツアーが終わる頃には、
私は、彼のライフスタイルに憧れを抱いていました。
その当時の私は、社会人1年目で仕事も生活もストレスだらけ。
ホテルでの仕事が本当にやりたいことだったのか。
これから自分の人生をどう生きたいのか。
なんとなく自分の興味関心が
ホテルの仕事に合っていないんじゃないか?というのには気づいていたけれど、
まだ社会人1年目だし、転職するには何もスキルがないや・・・
新しい世界に飛び込む勇気もない・・・
そんな状況でした。
でも、ボラカイ島を旅行している間はそんなことは忘れ、
楽園のような、自分の大好きな島ですごく心が解放されていたので、
違った環境で、自分らしいライフスタイルを送る彼に出会ったのかな?と思います。
最初の出会いでは、彼の生き方に憧れを抱きつつも、
結局は現実世界に引き戻される、会社員の私。
すごく魅力を感じた彼とは、また会いたいなと思いながらも、
旅先の2日間だけ一緒に、ツアーや食事を楽しんで終わりました。
フィリピンでまさかの再会
最初の出会いから月日は流れ、2年経った頃、
私の人生で、大きな変化がありました。
それは、新卒で入社した会社を退職し、
大学生時代から大好きな場所となった、フィリピンで働く道を選んだこと。
精神的・体力的に苦しいと感じていた仕事を辞めて、
思い切って、マニラにある日経旅行代理店へと転職をしました。
初めての旅行業界だったので、
最初は新しい専門用語や、予約管理システムを覚えるのが大変でしたが、
少しずつ慣れ、仕事にもだんだんと責任感ややりがいを覚えるように。
そして、フィリピンへ移住・転職をして約半年が経った頃、
トルコ人の彼からFacebookでメッセージが届きました。
「今年11月ごろに、またフィリピンを数ヶ月旅することにしたよ。
一緒に旅したいね〜。」
まさかの、憧れの自由人の彼がフィリピンへ来るとは!笑
旅先でのたった2日くらいの出会いだったので、多少警戒心はありつつも、
私が当時住んでいたマニラで、一緒にご飯をする約束をしました。
彼は本当に自由人で行動的なので、マニラに到着して私とご飯をした後は、
すぐにマニラ→エルニドのフェリーを予約をし、ダイビングへ!
そのあとは、エルニド→セブ→ボホール→シキホール→シャルガオなど、
本当に羨ましいくらい、いろんな島を巡っていました。笑
その一方、
私は月〜金と、隔週の土曜日は半日出勤している会社員。
彼のように旅をすることができず、見ていてもどかしかったのですが...笑
幸い年末年始の休みが5日?くらいありました。
なので、ちょうど私もフィリピンの島々を旅したかったし、
現地集合・現地解散で自分なりに旅の計画を立てることに。
超弾丸の旅にはなりましたが、
シャルガオ・ボホール島は一緒に回ることができ、良い思い出となりました。
国際恋愛に発展するも・・・
彼と2年ぶりにフィリピンで再会し、お互いの気持ちを知り、
フィリピンにいる間は、極力一緒に過ごすことを選んだけれど、
彼の旅が終われば、住んでいる場所も、仕事も全然違うので、
正直、二人の将来は思い描くことができませんでした。
そして、初めての出会いの時から知っていましたが、
彼はバツイチ・子持ちの独身。年の差は20歳以上。結婚願望もなし。
この部分だけを切り取って、仲の良い友達や先輩に話すと、
全員からすごく心配されたし、やめときな!と言われました。笑
でも、みんな実際には彼に会ったことがなかったので、
彼の性格など、内面的な部分を知っているのは私しかおらず、
説明するのがすごく難しかったですね💦
私としては、すごくポジティブで、楽天的な彼に救われることが多く、
彼の誠実さも感じていたので、これからも一緒に過ごせれば良いなと思っていました。
しかし、現実的には、
彼はトルコで自分の会社を経営し、子供や彼の家族もトルコにいるので、
フィリピンに来られるのは、数年に1回、数ヶ月だけ。
私は、転職をしてフィリピンに住み始めたばかりで、
これからもフィリピンで頑張ろうと決めていた時期。
彼は、私に「トルコへ来ない?」と誘ってはくれたものの、
「長期休暇が取れたらね。」という曖昧な返答をして、
あんまり将来のことを深く話さないようにしていました。
やっぱり、大きく期待してしまうと
傷つくのは自分たちだということもわかっていたので...
思いも寄らない方向へ人生が動き出す
けれど、彼がフィリピンを去る数週間前に、
私のビザ関連の問題が起こってしまい、急遽会社へ行くことができなくなりました。
思いも寄らないタイミングでの、出勤停止。
思いも寄らぬトラブル。
会社が動いてくれて、解決に向かうことは分かってはいたものの、
マイコプラズマ感染症で会社を休んでいた時期や、
咳がひどすぎて、嘔吐や不眠が続いていたこともあって、
その問題が思った以上に精神に影響を及ぼしました。
人と会えない・会社に行けない、いつもと180度違う生活。
問題がいつ解決するのかわからない不安。
海外で一人暮らしをし、自立して生きていく自分を志していたものの、
どんどん苦しくなってしまいました。
本当にひどい精神状態だったので、
ストレスからか、膀胱炎になったりもして、病院へ行くことも。
彼はその時近くにいてくれたのですが、
そんな私に対して、アドバイスをするというよりは、
答えを出すのを見守ってくれていたように思います。
最終的には、精神や体調が不安定になっている状態で、
先が見えないフィリピン生活を続けていくことに、完全に自信を無くしてしまい💦
一旦休職させていただくことにし、日本へ帰国する決断をしました。
そして、彼は同じくらいのタイミングで旅を終え、トルコへ帰国。
私はその後、数週間実家で休養をとりながら、
冷静に自分のことを見つめ直した結果・・・
結局は、フィリピンへ戻る体力も気力もなかったため、
上司に退職することを伝えました。
自分の弱さを自覚し、挫折した25歳。
自分はもっと強くて、チャレンジ精神旺盛だと思っていただけに、
真逆の自分の精神状態と向き合うことが辛かったですね。
でも、このフィリピンの会社を退職したこと・大好きなフィリピンを離れたことで、
思いもよらぬ人生を進んでいくことになったわけです。
トルコで彼と新しい人生をスタートさせる
フィリピンで再会をし、付き合うことになったものの、
お互いの将来や未来に関して、あまり話すことはなかった私たち。
でも、私がフィリピンの会社を退職し、初めてトルコへ行くことになり、
もっとお互いの深い部分を知ることとなります。
彼はバツイチ・子持ちで、結婚願望がないこと。
私たちには20歳以上の年の差がある現実。
こればっかりは、すぐに心を開いて話せる話題でもなく、
一緒に過ごす中で、時にはぶつかりながらも、話し合いをしていきました。
それと同時に、私自身の人生というものを深く考えるように。
彼の意見はとてもシンプルではっきりしていたけれど、
私はというと、20代後半に差し掛かり、結婚や出産を考える時期でもありました。
特に強い結婚願望は持っていなかったけれど、
結婚をしない人生について、そこまで考えることがなかったんですよね。
でも、彼の意見を聞いて、私はどうしたいのか?
というところも、深く考えるきっかけとなりました。
自分の中で答えを出せていない時期というのは、
友達や家族に彼との関係性をオープンにできず、正直コンプレックスだらけでした...
彼との関係性・彼との人生を考えるにあたって、
まず一番最初にぶつかった壁は、
私が私の気持ちを理解できていないということでした。
何に不安になっているのか?
結婚に対する私の今までのイメージ...
私が望むのはどのような将来・パートナーシップなのか?
うまく答えが出せていない間は、トルコへ住むことを心から受け入れられず、
常にトルコか?日本か?で悩んでいましたね。
でも、答えは日常の中にすでにありました。
コロナがパンデミックとなった、2020年4月。
トルコから日本への国際線は一時ストップ。
もう簡単には、日本へ行ったり来たりできない状況になり、
より一層、トルコへ住むのか、日本へ帰るのか?
そんなことを考えていました。
そして、結婚をしない彼との関係性が嫌なのであれば、日本へ帰るのだろうか?とも。
でも現実を見てみれば、
私は彼との暮らしが、今までで一番幸せだなと気づいたんです。
結婚をしても、しなくても、私たちの暮らしや関係性は変わらない。
私は、彼との子供を持つことは現実的に考えていない。
ならば、なぜそこまで結婚にこだわるのだろうか?
これに気づいてからは、私は国際結婚を現実的に考えたことがなかったのに、
周りの友達の結婚や出産、両親や親族からの期待、
そんなことを勝手に難しく考えては、答えを出そうとしていたんです。
大事だったのは、私が自分らしい人生を送るためにどうしたいか、
ただそれだけだったのです。
思い返せば、トルコでの暮らしは、
今でこそ、幸せをたくさん感じ、楽しむことができていますが、
1年近くかけ、自分自身と向き合い、自分を受け入れる作業の繰り返しでした。
私が変わろうとしなければ、トルコでの暮らしも、
彼との新しいライフスタイルも、うまくいかなかったと思います。
問題は常に自分の外側にあると思っていましたが、
結局は、自分の心の中にあるコンプレックスだったのです。
まとめ
私たちは、常に変化ある世界の中にいて、それぞれの人生も変動しています。
変わらないものもあるけれど、私たちの気持ちや生活様式は変わっていくもの。
でも、その変化に不安になり、動揺するではなく、
その都度、自分はどうしたいのかを心に問いかけ、
進みたい方を選んで、生きていくのだと思います。
私は、この国際恋愛を通して、周りの環境や価値観、
コントロールできない問題に左右されることのしんどさを痛感しました。
でも、この経験を通して、
大切なのは相手を信頼することもそうですが、
まずは、自分の気持ちを受け入れ、自分なりの考えを持つということです。
私は、彼との国際恋愛を通して、
自分らしく、前向きに生きていれば、
最初は心配していた人たちも、応援してくれることに気付きました。
逆に心配されている時というのは、自分が迷っていたからだとも思います。
今後は、「自分を大切にし受け入れること」を忘れず、
過去の私のように、自分に自信をなくし、自分のことを傷つけてしまう人がいたら、
寄り添うことができるようになりたいと思っています。
そのツールとして、
このNOMAD LIFE IN TURKEYのブログを続けていきますので、
今後ともどうぞよろしくお願いします。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました!
それでは、また〜(^^)/~~~
Nao
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