みなさん、こんにちは!
トルコ・ボドルム在住のNaoです。
今回のブログでは、
私の過去の体験談をもとに、自由 or 安定を選ぶ先に見えた
人生の変化を書いていきたいと思います。
そして、どんな感情にフォーカスするか、
どんな一日を選び、生きていくのか。
最近トルコで暮らす中でよく考えている、
身軽な人生を生きるためのマインドセットについても書いていけたらと思います。
私は愛媛の田舎町で生まれ、日本で育ち、日本の教育を受けてきました。
だからこそ、海外に出てみて気づいた、
日本社会や日本の教育により、マインドコントロールされてきた部分についても
触れることが出来たらなと思っています。
もし読者の皆様が、
今の自分を変えたい!より良い自分になりたい!
過去のトラウマを癒し・自分らしく前に進みたい!
そんな風に思っていらっしゃるのであれば、
ぜひ読んでいただけると嬉しいです♪
日本の田舎で生まれ育ち感じた、幸せの形
私は、日本で生まれ育ち、家族環境にも恵まれて生きてきました。
両親だけでなく、祖父母やいとこの家族も近くに住んでいたし、
田舎だからこそ、地域でのコミュニティが存在していて、
ご近所さん同士の助け合いもあるような環境です。
そういう田舎の環境で育ってきたからこそ、
家族がいて、家族を養うために安定した仕事をして、
安心して暮らせる家を持ち、余裕があれば外食や旅行に行って楽しむ。
家が私の安心できる場所であり、
家族がいるからこそ、家に帰ることができました。
そんな暮らしが自分にとって幸せだと思っていたので、
私も同じような幸せを実現するために、
学び、就職し、いずれ家庭を持つのだろうとずっと思っていました。
結婚に関しても、何の疑問を持つこともなく、
多くの人は結婚をし、子供を作り、家族という形で
社会に属するとさえ考えていました。
そして、それが日本の田舎で生まれ育った私が思う
典型的な幸せの形なんじゃないか?と考えていたのです。
安定した暮らしを望めば、社会には一本の道しか見えなかった
先ほどのような、安定・安心を求めた暮らしを実現しようと思うと、
私の目の前には、一本の道が見えました。
それは、
- 義務教育を受け、大学や専門学校へ進み、専門的な知識を身につける。
- 就職し、勤め先でキャリアアップをしていく。
- 1日8時間以上の労働をして、その対価としてお給料をいただく。
- いずれはパートナーと巡り合い、子供を授かり、家庭を築く。
そんな人生設計のルートが見えたのです。
逆に言えば、そのような人生を歩んでいる人たちしかまだ周りで見たことがなく、
他に生きていく術が全く想像もできなかった、というのが正直なところです。
だから、大学を卒業すれば、すぐに就職をして働かないといけないと思っていたし、
心のどこかで疑問を持ちながらも、
結局は正社員として採用してもらうために、就活も必死でした。
フィリピン人のたくましさ、日本社会の闇
私が大学生の頃は、貧困問題や社会問題を解決するために、
将来はソーシャルワーカーとして、
国際NGOの職員、もしくは赤十字で働きたい!と考えていました。
だから、大学3年次にはフィリピンへ交換留学へ行き、
現地の貧困問題について自分の目で見て、肌で感じ、学びました。
しかし、フィリピンでの留学が終わる頃、
ある葛藤が生まれました。
それは、私自身もしくは日本で暮らす人々の方が、
フィリピンの貧困層の人たちよりも心が貧しく見えたのです。
私は、先進国だからこそできる援助の方法を学び、
貧困層の人たちを助けられる何かを探していたけれど、
現地で暮らし、現地の人と触れ合う度に、
なぜか毎回私の方が元気付けられているし、
人として彼らの方が何倍もたくましく見えました。
もちろん、貧困地域での衣食住の安定、教育の必要性は強く感じましたが、
その一方で、
- なぜ、物質的に、経済的に豊かな日本人に自殺が多いのか。
- なぜ先進国で暮らす人々の方が、心の病にかかりやすいのか。
そんな疑問が芽生え始めました。
日本人として、海外の貧困地域の人たちに目を向ける前に、
まずは自国の社会問題や、生きている人たちの幸福度について知りたくなったし、
自分の精神的な弱さや、
そうさせてしまう社会のあり方にも疑問を感じ始めたのです。
と同時に、
大好きなフィリピンへまた戻りたい。
もっと五感を使って、今この瞬間に目を向けて一生懸命生きていきたい。
そんな気持ちも出てきました。
社会で迷子になった私と占い師の話
フィリピン留学から帰国した私は、
今まで思い描いてきた将来が消え去り、自信喪失。
なぜなら、私が学び、これから進もうと思っていた道に違和感を覚え、
社会の中で迷子になったような感覚になったのです。
自分が今できることって何なんだろう。
自分が学んできたことを活かせる職業ってあるのだろうか。
私はフィリピンの人たちから学んだ、生きる力をまだ持ち合わせていないな。
そんな時、母に誘われ愛媛にいらっしゃる占い師の元へ行ってきました。
占い師のお家に着いた瞬間、
占い師のご主人が笑顔で出迎えてくれました。
しかし、私がフィリピン留学から帰ったばかりということだけを伝えると、
あぁ〜そうなの💦という感じで、
戻らないほうがいいねと即座に言われた記憶があります。
その後、占い師の奥さんの部屋へ行くと、
面白いことに、占い師の後ろには光が差していて、顔は全然記憶にありません。
それに、彼女に鋭く観察され、すべて見透かされている感じがして、
怖くなったのを覚えています。
彼女に伝えたのは、
私の名前、漢字、住所、フィリピンのNGO団体での就職も視野に入れていること。
たったそれだけ。
しかし、彼女には全てが見えたようで、
「日本国民として税金を納め、日本で暮らし、制服を着て1日8時間の労働、
1日8時間自分の学びや趣味の時間、1日8時間の睡眠を取りなさい」
「今フィリピンには戻らない方がいい」
この2点をはっきりと言われたことは今でも覚えています。
占いの途中で心の奥底から涙が湧き上がってきて、
恥ずかしさを忘れ号泣。
色々と社会での自分のあり方・生き方に悩んでいただけあって、
ハッキリと人生の道しるべ・根本的な部分を強く言われたことで
ある意味自分の甘さを否定された感覚になり、
なんとも言えない感情になったのを覚えています。
社会に出て働く中で抱える葛藤
そこで、大学4年生の他の友達に遅れを取った形ではありますが、
どこかで疑問を抱えながらも就職活動を始め、香川県直島のホテルで働くことに。
結局仕事が忙しすぎて、
1日3~5時間の睡眠で仕事へ行き、早朝から深夜まで働く日々。
ホテルで社会人経験を積みながら、人生についていつも考えていました。
私は一体どんな人生を送りたいのか?
どんな職業が天職で人生の中でどんな使命があるのか?
好きな場所で自分らしく幸せに生きていくにはどうしていけば良いのか?
そんなことを考えては悩み、何かを変える勇気がないまま働いていたのです。
結局は、自分の目の前にある慣れた生活から一歩を踏み出す勇気がなく、
そのタイミングも、周りの人からの意見を気にしすぎて分からなくなりました。
「転職は最低でも社会人経験3年を積んでからの方がいい」
そんな声が頭に残る一方、
20代前半なら挑戦し、失敗するエネルギーも残っている!とも考えてもいました。
接客経験と日常会話レベルの英語が話せるくらいで、
専門知識を持ち得ていない私は、
正直転職先にアピールできるスキル・経験はあまりありませんでしたが、
変化を恐れずに行動する経験が今の自分には必要だと直感で感じ、
2年間ホテルで働いた後は、あれだけフィリピンにはいくなと言われていましたが
結局フィリピンの旅行会社へ転職した私なのでした😅
案の定、フィリピンでの転職は体調不良やビザの関係で上手くいかず、
わずか約1年で幕を閉じてしまいましたが、
転職をしたことで、新たな職業の可能性を発見することができたのは、
本当に良かったと思っています。
メンターのような彼との出会い|国際恋愛を機に思い切ってトルコへ
社会人1年目、1週間の休暇を頂いてフィリピンを旅している時に今の彼と出会い、
数年の時を経て、また私がフィリピンで転職をした時に再会。
彼との出会いを通して思ったのが、
社会での安定や将来設計のことばかり考えていたら
きっと出会っていなかったということ。
私は人生にはその時々に様々な縁が巡っていると思いますが、
そのチャンスに気づいても、行動するかしないかで大きく変わってくると思います。
日々の小さな選択から大きな選択まで。
後でやろう、挑戦しようと思っていても、時間が経てばその時のやる気はなくなるし、
また再会したいなと思っても、自分が行動しない限り会えない人もいると思います。
当時の私は、行き詰まり始めた人生に対して苦しかったし、
そこで自分に制限をかけてしまっていることに気付き、変わりたいと思っていました。
だからこそ、楽天的で自由な彼が目の前に現れたのかなと思います。
彼と友達になった日から、どうやったら彼のように生きられるんだろう?
と彼の生き方について興味が湧いてきたのを今でも覚えています。
トルコ人彼から学ぶ、身軽な人生を生きるためのマインドセット
一緒に暮らしてかれこれ3年以上経ちますが、
その中で人生を身軽に生きている楽天的な彼から学んだ考え方があります。
①白か黒かハッキリつけなくてもいい・平和な解決策を模索する
②住む家や一緒に住む家族は自分のオアシス的存在
③変化を恐れず、柔軟な選択をする
この3つは、私が普段持ち合わせていないマインドセット。
いつも、決断をする時に0か100かきっぱりと決めたいと思ってしまうし、
何か自分の中で抱えきれないストレスがあると
一番身近な存在の彼に八つ当たりしてしまいます😅
それに、自分が決めたことはやり通さねば...という変な責任感を手放せず、
違和感を感じているのに、昔決めたことに向かって突っ走ったことも💦
もし私が、この3つのマインドセットを忘れずに、
次の行動に生かすことができたら、
きっと、パートナーとの信頼関係に安心しながら、
何か大きな問題や変化が起こった時に、
自分に制限をかけずに自由な選択をすることができるなぁと思いました。
誰しも、良いところ・悪いところがあり、
良いところを十分に受け入れてもらえなかったり、
悪いところを自分自身で否定し続けてしまったり、難しいところですよね。
私自身、困難な問題が自分に降りかかった時、
自分の可能性を信じることよりも、できなかった自分に意識が向いてしまい、
やっぱり私はこういうところがダメなんだ...と落ち込んでしまうことがあります。
特に皮膚病の酒さになり、肌が大荒れしているときは、
本当にネガティブ思考まっしぐらでした。
現実から逃れようと、
ネットに載っている短期間で治る!という謳い文句を信じては上手くいかず、
日々の食事や運動の選択・自分自身の思考に目を向けることができていませんでした。
これは一つの例ですが、
過去には、他にも同じような思考回路の元、
良い自分の状態からかけ離れてしまうことは多々あったかと💦
そのような悪循環に陥らないためにも、
信頼し尊敬するパートナーからのメッセージを胸に刻み、
日頃からこの3つのマインドセットを意識して過ごしたいと思っています。
まとめ
私の場合、20代前半に大学を卒業し、社会人として働き始めたことで、
これからどうすれば自分らしく幸せに生きられるのかという疑問の元、
いつも自由 or 安定の選択に悩むことがありました。
正社員として働き、仕事での責任感や圧力に耐えきれず
自分自身の体調やメンタルが壊れてしまったこともあります。
かといって、トルコに来て私自身が自由だと考える生き方を実践してみても、
過去の自分が持っているマインドセットが変わらない限り、
実際には心の底からリラックスできていなかったり...
だから、結局は何事もバランスが大事。(占い師さんのアドバイスは的確だった...)
自分にとって安心できる居場所・人・経済力は必要だけど、
仕事を頑張りすぎて、自分や家族のための時間を失うことも危険。
日本からフィリピン、フィリピンからトルコと生活環境を変えながら、
自分に付きまとってくるトラウマや負の思考回路に向き合い続けたことで、
少し自分の中のバランスに意識することができるようになったかなと思います。
まだまだ古い思考を取っ払うには時間がかかりますが、
ちょっとずつ訓練の繰り返しですね👍
きっと、今このブログを読んでくださっている方の中にも、
どこか私と同じような経験をされた方がいらっしゃるかもしれません。
そして、誰しも心の中にトラウマが潜んでいて、
何かをきっかけに心が崩壊してしまう可能性を秘めていると思います。
そして今後の社会の動きを見ると、
天然資源問題、地球温暖化、食糧不足、気候変動、少子高齢化など...
心身共に健康に生きていたとしても、
どうしようもない問題に直面するかもしれません。
だからこそ、不安定な社会の中でも幸せを感じて希望を持って生きていくことが
今後の人生の鍵になるかもしれないと最近考えています。
上手くいかない状況をネガティブな思考で捉えると、
それはただの問題でしかありません。
でも、そんな状況を分析して解決策を考えようとすれば、
そこは制限のない世界で、希望が見えてくると思います。
私自身、トルコで生活して上手くいかずにしんどいこともありますが、
そこで諦めて下を向いていれば、もったいないなぁと思いました。
だから周りの人たちや今ある環境に感謝をし、自由と安定のバランスを意識しながら
より良い自分に向かって成長していきたいと思います💪
実は、今回のブログ投稿は100記事目でした!
こんなにもブログが続くとは最初は思ってもいませんでしたが、
書き続けることで、トルコ生活で感じたことを整理し
心に刻むことができている気がします。
読んでくださった皆様に感謝です♪
それでは、また〜(^^)/~~~
Nao