NOMAD LIFE IN TURKEY

【トルコ暮らしブログ】

トルコで学ぶ、リラックスして生きるということ


みなさん、こんばんは!ボドルム・在住のNaoです。

 

今回のトピックは、個性を自信に変えて、

リラックスして生きるということについてです。

 

日々の仕事や人間関係、目の前のことに精一杯で、

リラックスする時間をあまり持ててなかった私が、

トルコで暮らしながら気づいたことを、お伝えできればと思います。

 

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釣りをしている人たちに混じってくつろぐトルコのワンチャン。

 

 

日本で身についた、“見られている”という感覚

私は愛媛の田舎町で生まれ育ち、

近所の人や、友達の親御さん、じいちゃん、ばあちゃんみんな近くにいて

18歳までコミュニティがある場所でいきてきました。

 

だからなのか、良くも悪くも常に人から"見られている"という感覚が育ちました。

世間の常識や、相手から期待されているであろう自分への責任感、正義感、

色々と幼少期に身についたのかなと思います。

 

これはコミュニティで生きる上で、

相手とのコミュニケーションやマナーなど自然に学んだので、

田舎独特の繋がっている感、見られている感、には慣れています。

 

当時は友達の親や先生の車のナンバーも覚えていたので、

帰り道、峠を登って徒歩30分ほどかかる中学校へ通っていた時は、

 

給食で友達からもらったコッペパンをナップサックに隠しながら

口をあんまり動かさずに食べていたのを思い出します。笑

 

悪いことをしたらすぐにバレるような環境だったので、

そんなパンを隠しぐいしているような中学生でした。笑

 

今考えると可愛い話ですが、その当時から誰かに見られている、

誰かに評価されているという感覚を持っていたのを覚えています。

 

パンを帰り道に食べることを行儀が悪いと思っていましたが、

食いしん坊な私は、家に着くまで我慢できなかったため、

パンを隠し持っては食べていたのです。笑

 

だから常に、相手の目を気にして、

いい自分でありたい、嫌われない人でありたいと思っていました。

 

いわゆる八方美人ってやつですかね・・・!

 

この“見られている”という感覚は、

団体の中で浮いた存在になりたくない、

という気持ちの表れでもあると思います。

 

全校生徒60人の小さな小学校で児童会長を務めるほど、

人前に立って話すことや、自分の意見を伝えることが得意だった私ですが

 

マンモス校の中学校に入学した時に感じた、

あの“視線が”トラウマになっていることは、自分が一番わかっています。

 

目立つよりも、周りに溶け込んでいた方が楽だと思ってしまうのは、

日本の学校教育でありがちなことではないでしょうか?

 

空気をよんで、相手軸で物事を考えてしまう癖

社会人になってくると、周りには自分の味方ではなく、

むしろお付き合いするのが難しいような人との出会いもありますよね。

 

そんな時に、相手の機嫌をとって、相手のペースに合わせて

なのに全然うまく人間関係が進まなくて・・・

 

なんて経験をした人もいるのではないでしょうか?

 

特に日本では、その場の空気をよんで、

相手の立場に立った言動をすることが美徳とされることも多いと思います。

 

だから、相手に気を使いすぎるあまり、

職場での人間関係においては悩む方も多いと思います。

 

相手の評価が気になったり、人と比べたりしていると

軸が相手軸なので、相手のちょっとした表情の変化、

言葉のカラー、トーンなど・・・少しのことに気づいては

傷ついてしまう人もいると思います。

 

私は新卒で入社した会社で、人間関係をうまく構築できない上司がいました。

 

常に相手から嫌われていると思うあまり、

次のコミュニケーションに対して怯えたり、

逆にそういう状況に対処できない自分に憤りを感じたり、、

 

本当にその人が軸で私の精神状態が変わるほど、敏感になっていた時期も・・・

 

今、よく聞く言葉では、

HSP(Highly Sensitive Person)という言葉がありますが、

 

私はHSPの症状にかなり当てはまっているので、

もともと感受性が強く、相手の変化にも気づきやすいので、

そこまでメンタルが強くないんだなあと実感しています。

 

でもある時、職場での人間関係がストレスになっているのは、

相手から見た自分、相手からの評価に気を取られ、

いつも相手軸で私を見ていたことに気づきました。

 

そして、今まで日本で身につけてきた、

そういう”見られている自分”に気を取られすぎているあまり、

今住んでいるトルコでいろんな気づきがありました。

 

“見られている”感覚は、違いに対する興味関心

トルコは、アジアとヨーロッパの間で、

いろんな文化をつなぐハブのような場所だと思っています。

 

また、トルコといっても、とても大きな国なので、

トルコの中でも地域ごとに様々な違いや習慣があると聞きます。

 

そして隣国からトルコに難民がたくさんやってきた歴史、現状もあり、

様々な民族が集まる中東の民主国家になっています。

 

そんな多様性を受け入れ、共存しているトルコに住んでいますが、

あまりアジア系の人をみることがありません。

 

私は今、ボドルムという観光地に住んでいますが、

今まで日本人を見たのは1度だけ、中国や韓国人を見たのは数回というほど。

 

そういうこともあって、私はローカルな場所へ行けば行くほど、

めちゃくちゃジロジロと見られます・・・笑

 

まずトルコの人は顔が濃くて、体も大きいし、

アジア人とは見た目がかなり違うので、

私が一人で歩いていても、彼と歩いていても、いろんな視線を感じます。

 

「あ〜自分浮いてる感覚」とちょっと嫌な気持ちになることも・・・ 

 

フィリピンには約2年間住んだことがありますが、

その時には感じなかった視線です。

 

環境に溶け込みたいけど、その”視線”があるので、

本当に心からリラックスできない感覚がありました。

 

そんな時、トルコ人の彼がこういってくれました。

 

みんな、なおちゃんが周りと違うから、興味を持って見てるんだよ。

だからそれを個性だと思って、自信を持ちなさい。

 

私はその言葉に、なるほど〜と思いました。

 

根本的に私は自信がないために、その視線が完全にネガティブな

被害妄想的な思考になっていたことを改めて自覚したのでした。

 

今、私は酒さという皮膚病を持っていて、

肌が真っ赤になったり、ニキビが増えたりするので、

正直今まで以上に周りからの視線に怯えることがあります。

 

でも、優しい彼は、

相手は自分が思っている以上に、そんなところまでは見ていないよ。

と支えてくれます。

 

個性を自信に、違いに寛容に

今までフィリピンに約2年、そして現在トルコに約1年住んでいますが、

そんな私はいまだに自己肯定感が下がり、自分に自信が持てない時があります。

 

しかし、陽気で、楽天的なトルコ人の彼と付き合う中で、

ネガティブになったり、自己否定をすることの無駄を感じるようになりました。

 

同じ時間を過ごしていても、

小さな変化に敏感になり、相手の目を気にしていると

その時間を本当に心から楽しめていない自分にも気づきます。

 

海外で過ごせば過ごすほど、

「私」はどう思うのか?ということを問われます。

 

あなたから見た「私」の評価アップのために回答するのではなく、

誠実に、正直に、「私」がどう思うのか相手は知りたいのです。

 

ただ、この「私」の意見は、海外に出ると、“日本人代表”みたいな感じで、

現地の人にとっては、大きな印象を与えることになります。

 

だから、相手の立場に立って、

思いやりを持った発言をするように意識しています。

 

でも、相手からの評価を気にしてする発言ではなく、

私の思いは私の言葉で、嘘のないように話します。

 

そうすると、新しい意見に耳を傾けてくれ、

違いを面白い!と捉えてくれることがあります。

 

そして、トルコに住んでいくうちに、違っていて当然!

むしろ違いは個性なんだから、個性を自信に変えていこうと思えました。

  

言葉が完璧に通じない環境でも、

笑顔一つで相手と仲良くなれた経験がたくさんあるので、

そんな自分の笑顔にも自信を持って、生活したいと思います。

 

まとめ 

心からリラックスして生きるということは、

自分のありのままを受け入れ、自分に自信を持つことが必要なんだと

トルコに来てから再認識することができました。

 

日本では、個性を尊重するというよりも、

団体行動の中で、迷惑をかけず、礼儀正しく、

相手に思いやりを持ってという方に重きが置かれているのではないかと思います。

 

そういう部分について、海外では、

日本人には“Discipline(規律)”があると言われます。

 

英語の意味をみてみると・・・

 

“the practice of training people to obey rules or a code of behavior, using punishment to correct disobedience.”

 

確かに学校や親からの教育の中で、

道徳心や善悪の判断など、自然に身に付き実践できていますよね。

 

自然と電車前で降りる人を優先してから乗ったり、

トイレが混雑していたら、自然と列を作って待てたり・・・

 

自分が使った後のテーブルや共有スペースは

掃除してからその場を離れることができたり・・・

 

日本に住んでいたらみんな当たり前にこういうことができますが

海外に出ると、こんな日本人の生活態度や振る舞いは

素晴らしい!と言われることも。笑

 

でも、一度中国の空港でトイレを待っていたら、

どんどん抜かされて全然トイレに行けなかったのを思い出しました・・・汗

 

だから、臨機応変に、強く前に出ないといけないこともありますね。笑

  

トルコで暮らす中で、

こういう規律を守る日本人らしさを忘れたくはないけど、

あんまりいろんなことに線引きしないで、

 

自分の個性を自信に変えて、”違いに柔軟に”、

問題が起こっても、大丈夫!なんとかなる!って感じで

生きていこうと思うようになりました。

 

〜しなければならない!っていう自分のルールに支配されるのではなく

 

時と場合に応じて、フレキシブルに動けるように

自分をがんじがらめにしないようにしたいと思っています。

 

今は、コロナ渦での生活で、

なんらかのストレスがかかっている方がほとんどだと思うので、

 

みなさんが少しだけ肩の力を抜いて、

自分のことを大切に思って、

何かに癒されながら、ホッと一息つけていることを祈ります。

 

私もトルコでリラックスして生きることを忘れないようにします :)

 

それではまた(^^)/~~~

 

Nao

 

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