みなさん、こんばんは!
ボドルム在住のNaoです。
今日のブログは、前回の前編に続くお話です。
まだ前編をご覧になっていない方は、ぜひ先に前編をお読みください!
前編はこちら⬇️
nomad-life-in-turkey.hateblo.jp
それでは、カッパドキアで原因不明の全身麻痺にあった話の続きをお楽しみください!
異変を感じた深夜3時
グリーンツアーからホテルに帰ってきた後、なんだか疲れて食欲もなくなってしまった私は、スープとパンだけを軽く食べて、早めに眠りにつきました。
翌日はレッドツアーという別のエリアを回るツアーを予約していたので、体力温存して、早く元気になるぞ〜と思っていました。
しかし・・・
夜中から全身の関節痛と吐き気に襲われます。
旅行中は必ず持っていく体温計があったので熱を測ってみると、37.5度。
おかしいなあ、何かに当たったんかな??と思いつつも、まだ高熱も出ていないし、ベッドの上だったので、とりあえず眠れないながらも夜明けを待ちます。
翌朝・・・
吐きはしませんでしたが、起きても、食べ物の匂いで吐き気。
ふらふらして歩くのもやっと。。。
せっかく美味しそうな朝食がずらりと並んでいたのに、何も食べられず、倒れそうになりながら友達を置いて先に部屋に戻りました。
歩けない状況だったので、友達には本当に迷惑かけましたが、私だけツアーキャンセルして休むことに。
寝てたら治るやろう。。。
母が看護師なので、手持ちの薬で効きそうなものを教えてもらい、寝ること数時間。
関節痛が治らず、しまいには手が痺れ始めました。
この時には熱が38.5度にまで上がっていました。
母に相談すると、やっぱり手の痺れは異常だと言われ、病院へ行くことにしました(この時の判断がのちに命を救うことになります。)
幸い、流暢な日本語を話すトルコ人スタッフがホテルにいたので、友達が私の症状を伝えてくれていて、気にかけてくれていました。
部屋に様子を確認しにきてくれた時に、手が痺れ始めたことを相談したところ、公立病院まで送ってくれることに。
ふらふらの状態で車に乗り、走ること数十分。。
どんどん体が痺れてきて、足元からもしびれを感じるようになってきました。
公立病院に到着するも・・・魔のパスポートチェック
公立病院についた頃には、自分の力では歩けない状態に。
ホテルから送ってくれたスタッフのイェルマズさんが車椅子を用意してくれ、そこから魔のパスポートチェックの時間が始まります。
公立病院は医療費が安い分、緊急対応のはずなのにパスポートが先、と言われ、こっちは全身痺れて電撃に打たれているような状態で30分くらい待たされました。
このまま死ぬ!!と思ってしまってそこからパニック状態に。
呼吸がどんどん薄れ、医者がいるのに何もしてくれない状態に恐怖を感じていました。
私このままトルコの内陸地で死ぬのか・・・??
そう思ってしまった矢先、元救急救命士、しかも名古屋で15年働いていたホテルスタッフのイェルマズさんが、
「このままじゃどんだけ待たせるかわからない!公立病院だといつ診てもらえるかわからないから、私立病院へ行こう!」
と提案してくれ、私の彼に電話をかけて了承をとってくれました。
トルコ人彼はずっと私にどれだけ請求がくるかわからないから、公立病院へいきなさいといっていたためです。
彼はトルコの病院事情を知っていたので、保険に入っていなかった私の心配をして、公立病院を勧めてくれていたのでした。
私立病院へ緊急搬送、シリアから来たムハマンドさんとの出会い
結局イェルマズさんのおかげで、私立病院に救急車で行くことができました。
ついてからは自分では足もあげられない状況です。
車椅子から二人の男性スタッフに抱えられ、CT検査をします。
どんどん体は痺れて呼吸困難になってきたにも関わらず
CT検査は異常なし。
結局点滴3本うってもらい、12時間ほど入院しました。
入院した次の日にはカッパドキア→イスタンブールへ戻るフライトがあったし、
せっかく日本から遊びに来てくれた友達に申し訳なさすぎたので、なんとか治りますように・・・と祈っていました。
しかし、パニックになっていた私は、痺れが治るまでずっと泣いていました。
すると、私立病院の英語通訳で入ってくれていたシリア難民のムハマンドさんが、私の病室でずっと様子を見守ってくれていて、手を握り、こう言ってくれました。
私はシリア内戦が激しくなって妻と子供だけ連れてトルコに逃げてきたんだ。他の親戚たちはみんな死んだよ。
僕は今までトルコで一生懸命働いてきて、今は病院の24時間対応の通訳として働いて生活費を稼いでいるんだけど、僕の娘は、高校生の今でも君のようにショックを受けると手足が痺れてしまうんだよ。
君がこうなった理由は医師もわからないと言っているけど、何か大きなストレスを感じたんじゃないかな?
生きていたら絶望することもあるけど、希望を持って生きていくしかないんだよ。
と優しく語りかけてくれました。
その力強く優しい言葉にまた泣けてくる私。
マニラ転職に失敗し、人生設計が崩れ、心を癒すためにきたトルコ。
先の見えないまま日本帰国が迫っていた矢先の全身麻痺でした。
そっか、私ずっと無理してきたんだな。心も体も自分を偽って、自分は大丈夫って言い聞かせながら、SOSを無視して帰国しようとしていたのかもしれない。
初めて体が動かない状況に戸惑いながらも、ムハマンドさんのおかげで、自分のSOSを意識して、少し休もうと深い眠りに落ちることができました。
(でもそれと同時に、深い挫折を味わって折れてしまう心に対して情けないと思いました。)
結局私立病院に緊急搬送されて12時間後、歩けるようにまで回復し退院。
たった半日の出来事だったとは思えないほど、苦しんだ日でした。
入院・治療費は総額26万円。
幸い三井住友のクレジットカードで航空券を買っていたので、利用付帯の旅行保険が適用され、全額返ってきました・・・!
救ってくれたトルコの人たちへの感謝の気持ち
初めて全身が痺れ、動かなくなり、パニックになってしまった私を治療してくれた、カッパドキアの病院で働く皆さんには感謝しかありません。
また、ホテルから病院までの送迎、私の彼や友達への連絡、パスポートとお金の管理まで全て快く引き受けてくれ、 最後の最後まで面倒をみてくださったイェルマズさん。
そして、パニックになった私を見守り、励ましてくれた英語通訳のムハマンドさん。
いつかきちんと恩返しがしたいと思っています。
今私がトルコに戻ってきたのも、そういった人たちとの出会いがあってのことです。
絶対に忘れない、辛い体験でしたが、彼らの芯ある優しさに救われた、かけがえのない人生体験でした。
しかし、両親や友達、彼には本当に心配をかけてしまった出来事でもあります。
結局その後、友達とイスタンブールへ戻り、残りの3日間ほとんど食べることをせず、観光だけ楽しみました!
病院の先生には、原因不明の急性胃腸炎、麻痺からのパニック障害と言われてしまいましたが、
私は今まで身体と心のSOSを無視してきた結果、起こったことなんじゃないかなあと推測しています。
またはカッパドキアで食べたマッシュルームが毒キノコだったとか・・・?笑
(病院の先生は、アレルギーや食中毒の可能性は低いと言っていました。)
フィリピンではことごとく食中毒にかかっていたので、免疫系も弱まっていたのかもしれないです・・・
しかしあの全身麻痺を体験した後、しばらくはまた痺れるんじゃないかと怖くなってしまい、眠れない日々が続きました。
イスタンブールからブルネイへ行く予定だったのも全てキャンセルして、
またボドルムへ戻り、彼と再会して休養をとった後、帰国した私なのでした。
まとめ
海外旅行で怪我や病気なんてしないし、気をつけてるから大丈夫!という思い込み、自分は大丈夫だからもっと頑張れる!と、どこか無理して生きている方、
私の体験談を見て、反面教師にしていただけたらと思います!
*この体験をしてから、今トルコでは現地の保険、損保ジャパンに入っています。1年で330リラという破格でした・・・!(約4750円)
*イカメットを持つ、外国籍かつ観光目的の滞在に適用されるプログラムだそうです。
これだけ辛い経験をしましたが、今私はトルコを拠点に生活をしています。
それは、この経験を通して、トルコという国、人々、文化、イスラム教の教えなどなど、私に必要な学びがたくさん見つかりつつあるからです。
カッパドキアはまだ少し怖くて時間がかかりそうですが、いつか彼と一緒にもう一度旅行して、お世話になった皆さんにお礼をしたいと考えています。
カッパドキアは病気になったことで存分に楽しむことはできませんでしたが、ツアーでみた景色は圧巻でした!
洞窟宿や気球、カッパドキアならではのトルコ内陸部の食事も楽しめると思います!
ぜひトルコにお越しの際は、訪れてみてくださいね!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
それではまた(^^)/~~~
Nao
ブログ村のランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします♪